セクハラやじと声紋分析
2014年7月14日 最近、東京都議会での「セクハラやじ」についてニュースでよく取り上げられています。
今日の我が家の新聞にも「女性蔑視」という視点からの社説が掲載されていました。
あちこち読んでいると、その「セクハラやじ」の事で別のニュースが小さく載せられていました。それば、「みんなの党の代表は、セクハラやじの声紋分析を行い、誰が言ったかを特定し、徹底抗議する」という話でした。
確かに都民の代表の集まるような場所で、人権を無視するような言葉を堂々と使う人間を放っておくのはおかしな話だと思います。しかし「声紋分析をして犯人捜しをする」という大掛かりな事になっているかと思うと、やはり変な話だと思わざるを得ません。
もしそれで、「○○議員の声だった」という事がわかり、抗議をして「私じゃない」とか「辞職しろ」とかいうような話に時間を使う事がどうも無駄な事をしているような気がします。
大人なら、というか「悪い事をした」のなら「私が言ってしまいました。ごめんなさい」という一言を、自分から言うのが当たり前の姿勢なのではないのかと思ってしまいます。
「見つからなければそれでいい」とか「面白ければそれでいい」とかいうような風潮を大人が一番にに作っているような気がして、情けなくなりますね。やっぱりまず素直に「ごめんなさい」からスタートすべきだと思います。
今日の我が家の新聞にも「女性蔑視」という視点からの社説が掲載されていました。
あちこち読んでいると、その「セクハラやじ」の事で別のニュースが小さく載せられていました。それば、「みんなの党の代表は、セクハラやじの声紋分析を行い、誰が言ったかを特定し、徹底抗議する」という話でした。
確かに都民の代表の集まるような場所で、人権を無視するような言葉を堂々と使う人間を放っておくのはおかしな話だと思います。しかし「声紋分析をして犯人捜しをする」という大掛かりな事になっているかと思うと、やはり変な話だと思わざるを得ません。
もしそれで、「○○議員の声だった」という事がわかり、抗議をして「私じゃない」とか「辞職しろ」とかいうような話に時間を使う事がどうも無駄な事をしているような気がします。
大人なら、というか「悪い事をした」のなら「私が言ってしまいました。ごめんなさい」という一言を、自分から言うのが当たり前の姿勢なのではないのかと思ってしまいます。
「見つからなければそれでいい」とか「面白ければそれでいい」とかいうような風潮を大人が一番にに作っているような気がして、情けなくなりますね。やっぱりまず素直に「ごめんなさい」からスタートすべきだと思います。
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